こんにちは!ライターのまつです。
宮崎県西都市中心街の一角にある
都萬神社 は街の日常に溶け込んでいる、西都に住む方々にとって馴染み深い神社の一つです。
また、日本で最も古い文献といわれる古事記、日本書紀に書かれれている日向神話。この神話の伝承地を繋ぐ「記紀の道」の一番始めの場所がこちらの都萬神社。
今回はそんな西都市に佇む都萬神社の歴史をひも解きながら、ご紹介していきますので、ぜひ最後までご覧ください。
都萬神社の歴史について
神社の歴史を知ってから参拝すると、より深い理解が得られると思うので、まずは御由緒について紹介します。
都萬神社の創建
創建ははっきりとはわかっていませんが、古事記にまで遡るその歴史は仁明天皇の時代にまでさかのぼります。
「続日本後記」の中で、仁明天皇の時代、承和(じょうわ)4年(西暦834年)8月の条に「日向国子湯群妻神宮社に預かる」と記載があり、また「三代実録」の天安2年(858)の条にも神階昇格の記載があります。
御創建自体はそれらの文献より以前と考えられるため、奈良時代(710~794)には存在していたと思われます。
御祭神と御神徳
古事記・日本書紀に書かれている日向神話に登場する木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)が御祭神です。
コノハナサクヤヒメノミコトとニニギノミコトが結婚し3人の子供を生んで立派に育てたことから、縁結び、安産、子育ての神として女性に縁の深い御神徳があるされています。
また毎年七月七日には、ニニギノミコトへの嫁入りの様子を再現する七夕更衣祭がおこなわれ、神職がコノハナサクヤヒメの御神象に装飾を施す神事として残っています。
土地の名前
都萬神社のある場所の地名は「
妻 」この土地名はニニギノミコトがコノハナサクヤヒメノミコトをこの地で妻にしたことからだと云われています。
また「都万」の社名について、「妻万」とする説が古くからあり、その場合、読みを「つま」のほか「さいまん」とする説があるそうで地元ではさいまんさまとも呼ばれているとのことです。
都萬神社に行ってみました
参拝者用の駐車場もあるので車で来ても大丈夫です。
都萬神社の境内に入ると、大きな木に囲まれているせいか空気が少しひんやりと感じ背筋が伸びました。鳥の鳴き声が響き渡り厳かな雰囲気です。
都萬神社は公園も隣接しており敷地も広いです。こちらの公園はゆっくり過ごしたり、夕方の時間帯は子どもたちで賑わっています。
公園の横の敷地には立派な相撲場もあります。
そびえ立つ妻のクス
南参道から都萬神社に入っていくとまず目に行くのが大クス。(御社殿の正面東参道から入ると左奥)こちら妻のクスは国指定天然記念物です。
昭和42年と平成2年に空洞部からの出火があり被災し、強風の被害で樹幹を失ったそうですが、今では樹勢を取りもどしたとのこと。
間近で見るとその迫力と空洞があっても、立派に佇んでいるその姿に強い生命力を感じます。
八坂神社
妻のクス近くに鎮座するのは八坂神社。本社とは別に祀られている境内社です。
「祇園さま」とも呼ばれ、約130年前に地元の有志によって商売繁盛・町内発展を願い創建された神社。
御祭神は須佐之男命(スサノオノミコト)
出産河
八坂神社からまっすぐ進んでいくとあるのが出産河。
こちらの出産河、なんと水が自然に湧き出ている泉とのこと。滑らかな大きい石をなでると子宝に恵まれるという言い伝えがあるそうです。自然の力でできているところに神秘的なものを感じます。
乳神
出産河から本社正面がわに進んでいき左側に見えてくるのが境内社の乳神。
都萬神社の御祭神、コノハナサクヤヒメノミコトは、無戸室で三つ子の皇子を産みました。その後子育ての際に母乳だけでは足りずに、狭田の稲から甘酒を作って養育されたと伝えられています。
現在も秋の例大祭では甘酒が奉納される習慣があるとのことです。産後の母乳が足りない女性は、この神社に参拝して祈願し、母乳が出るようになったら甘酒を持って参拝することになっているそうです。
稲荷神社
東参道の太鼓橋を渡ったすぐ横にあるのが稲荷神社。こちらも本社とは別に祀られている境内社です。稲荷神社の象徴であるキツネには神様の使者という意味があるそうです。
五穀をはじめとした全ての食物を司る神様であり、生命の根源を司る宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)が御祭神です。
階段を登りいざ御社殿へ
まずは御社殿の周辺を一通り見て回りましたが、妻のクス、出産河、3つの境内社など思わず見入ってしまうスポットがたくさんありました。
それでは階段を登り御社殿へ行きます。
手水舎で身を清めて参拝
階段を登るとすぐ横にある手水舎で心身を清めます。
立派な御社殿です。参拝。非常に清らかな気持ちになります
日本一の大太刀
御社殿には1450年に日下部成家が奉納したと伝えられている「日本一の大太刀(おおたち)」が壁に掛けられています。刀の長さはなんと3m54㎝もあります。
御社殿周辺も探索してみる
御社殿の周りにはお守りやお札など購入することのでくる授与所などの他にも興味深いところがいくつもありました。
願いが叶う千年楠の洞洞木
大楠の一部で作られたというこちらの木洞。慎み・畏まる・通るの意味から
洞洞木 と命名されたとのことです。
「夢かなう 幸せ招く 願い叶う 木洞」と云われています。
入口の前で一礼し、心の中で願いを言いながら木洞を通り抜け一礼するのが作法だそうです。
日本清酒発祥の地との云われ
洞洞木の横には日本清酒発祥の地という看板があります。
コノハナサクヤヒメノミコトが3人の皇子を出産なされた時のお祝いとして米を醸し、天甜酒(あめのたむざけ)を作ったとされ、それが日本清酒発祥の地としての所以となっています。
乳神でも甘酒で3人の皇子を育てたという伝えがあるように清酒と深い関りがある土地だということが分かります。
御社殿の奥に鎮座する境内社
御社殿の奥には3つの境内社が鎮座しています。どのような境内社なのでしょうか。
都萬神社摂社の大山祇神社
コノハナサクヤヒメノミコトの父神である大山祇神(オオヤマツミノカミ)をお祀りしている大山祇神社。
創立の年代は定かではないですが、現在の社殿には九曜星の紋章が保存されているそう。よって550年前の伊東時代の建立かと推測されますが、この以前にもあったとされているとのことです。
都萬神社と関係の深い歴史ある神社ということが分かります。
霧島神社と四所神社
大山祇神社の横に鎮座するのは霧島神社と四所神社。
左:霧島神社 右:四所神社
霧島神社の御神祭はコノハナサクヤヒメノミコトの夫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)
四所神社の御神祭は磐長姫神(イワナガヒメ)豊受姫命(トヨウケヒメノミコト)、天児屋根命(アメノコヤネ)太玉命(フトダマノミコト)
磐長姫神(イワナガヒメ)は神話にも登場するコノハナサクヤヒメの姉です。
都萬神社を巡ってみて
都萬神社は西都市でも歴史のある様々な神話が残っている場所としてとても神秘的な場所でした。何だかパワーもいただけたような気がします。
また、御社殿が立派なのはもちろんですがそれにまつわる多くの伝説が残っていて場所が点在しており色々と歴史を知ることができ勉強にもなりました。
縁結び、安産、子育てなど御利益があると云われる都萬神社。西都市の歴史を知ることもできる貴重な伝承地の一つです。ぜひ西都を訪れた際に巡ってみてはいかがでしょうか。
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