宮崎県西都市の「
子宝寿司 」は、1977年創業の地元から愛される「寿司屋」の一つです。
郡山 幹生 さんに、お店のこだわりや思い、今後の展望などについてお話しを伺ってきました。「子宝寿司 」ならではの魅力をぜひ知ってくださいね。
西都市の子宝寿司|創業ストーリーと店名の由来
「子宝寿司」の店主である郡山さんが、なぜ宮崎県西都市に寿司屋を開業するに至ったのか。その経緯と店名の由来についてご紹介します。
「子宝寿司」開業までの道程
郡山さんは宮崎県西米良村の出身。中学まで地元で過ごし、高校は西都商業高校に進学しました。卒業後は静岡の自動車関連企業で社会人野球に所属しましたが、約1年で帰郷します。
帰郷して間もない19歳のときに転機が訪れました。お寿司好きの兄のすすめで、宮崎市の寿司店に見習いとして入ります。6年間しっかりと腕を磨いたのち、親方の勧めで東京へ渡り、江戸前寿司を1年余り学びました。
東京での修業後は再び宮崎の親方の店に戻り、約2年腕をふるってから独立しました。
出店先に選んだのは、生まれ育った西米良に近く、馴染みのある西都でした。ちょうど当時いちばんの繁盛店の近くが空き、親方の「繁盛店のそばには人が集まる」という言葉に後押しされ、決意が固まりました。
独立から23年目に、入居していたテナント一帯が火災に見舞われるという出来事がありましたが、その困難を乗り越えて現在の場所へ移転しました。以来、約48年にわたり、変わらず暖簾を守り続けています。
店舗名の由来
屋号は親方の店名「宝寿司」から受け継いでいます。のれん分けの証として“子”の字をいただき、「子宝寿司」と名づけました。感謝と誇りが込められています。
子宝寿司 店主インタビュー|苦労と喜び、そしてこれから
「子宝寿司」の店主である郡山さんに現在に至るまでの苦労や喜び、そして今後の展望についてお話を伺いました。
お店を経営していて大変だったこと
いちばん大変だったのはコロナの時期です。営業してもお客さまが来られず、休業の要請が出た時期もありました。国や県、市の支援に助けられましたが、正直しんどかったです。
それから口蹄疫の時期も厳しかったです。人の動きが落ち着いて店にも影響が出ました。あの頃も大変でしたが、やはり思い返してみると一番大変だったのはコロナの時期でしたね。
お店を続けてきて良かったこと
良い時代もたくさん経験しました。景気がよかった頃は忙しくて、毎日が楽しかったです。何より、お客さまに支えられてきたことが一番うれしいですね。
長く通ってくださる方が家族や友人を連れて来てくださったり、『また来るよ』のひと言をいただいたり、そういう積み重ねが励みになります。常連さんの声から“激辛のり巻き”みたいな新しい一品も生まれました。お客さまと一緒に店を育ててもらっている、そう感じます。
今後の展望
私は75歳になりました。体と相談しながら、できる限り続けたいです。息子は別の道に進んでいますので、後継のことはまだ分かりません。
最近は『始めるより、やめる時のほうが難しい』と感じます。お世話になった方がたくさんいらっしゃるからです。ご縁があれば店を託す道もあると思います。最後まできちんとやり切りたいです。
子宝寿司のこだわり
創業当初は寿司一本だったという子宝寿司。今は寿司と酒肴の店として、つまみや鍋物もご用意しています。飲んで食べて語らう時間を、気負わず楽しんでいただきたいと考えています。
看板の一つが激辛のり巻きです。常連の一言をきっかけに生まれた一品で、刻んだ茎わさびを巻く組み立てが、あと引く辛さにつながっています。
人気のネタのサーモンやレタス巻きといった今の定番も外さず、世代や好みに合わせて選びやすい構成にしています。
握りは「郷に入っては郷に従え」の気持ちで整えています。東京仕込みの小ぶりなシャリから、宮崎の食べ応えに合わせて少しずつ調整を重ねました。
変えるところは変え、守るところは守る姿勢が、長い年月を支えてきました。店内には、カウンター席、座敷席があるので、ご家族連れでもお一人様でも安心して利用できます。
こだわりの寿司と酒肴を子宝寿司で
子宝寿司は、寿司と酒肴を気兼ねなく楽しめる、時代に寄り添う店づくりの寿司処です。東京で磨いた技を地元の好みに合わせ、丁寧な手仕事で一貫一貫を提供しています。
西都市を訪れた際は、「子宝寿司」にぜひ足を運んでここだけの寿司と酒肴を味わってみて下さい。