こんにちは!ライターのまつです。
日本で最も古い文献といわれる古事記、日本書紀に記されている日向神話。宮崎県には日向神話に由来する伝承地が数多く残されています。
西都市にも日向神話の舞台とされる伝承地が残されており、この伝承地を歩いて巡る道が「記紀の道」です。
今回は古代ロマン、そして最も古いと云われる恋の物語を知ることのできる「記紀の道」を前編・
後編に分けてご案内します。
※古事記、日本書紀の伝承地には所説あります。
記紀の道とは

伝承地、神社、古墳群などのスポットがあり全部で10か所を巡っていきます。およそ4キロの散策コース、所要時間はおよそ1時間。
自然豊かな散策コースは桜や菜の花など季節ごとの草花や、タイミングが良ければダイサギやカワセミなどの野鳥も見ることができます。
ゆったりとした時間が流れ、地元に人が散歩をしていたりと日常を過ごす場所として人気です。
記紀の道に伝わる神話
神話時代、アマテラスオオミカミの孫にあたるニニギノミコトが日向国の高千穂に降臨しました。
そしてニニギノミコトはコノハナサクヤヒメと出会い、二人の物語が始まります。
日向神話の中心とも云われるニニギノミコトをコノハナサクヤヒメの物語の伝承地をつなぐ道が「記紀の道」です。
古事記の「記」と日本書紀の「紀」から「記紀の道」と名づけられました。
記紀の道スポット①「都萬神社」(つまじんじゃ)
記紀の道のスタート地点は西都市の中心街の一角に佇む
都萬神社 です。
都萬神社は広々とした境内に公園が隣接していて遊んでいる子どもたちがいたり、ちょっと散歩で訪れたりと地域の日常に溶け込んでいる神社です。
御祭神は記紀の道の主役となるコノハナサクヤヒメ。神代の昔、この都萬神社の周辺にコノハナサクヤヒメが暮らしていたとのことです。
またコノハナサクヤヒメとニニギノミコトが新婚生活を送った地とも伝えられています。
コノハナサクヤヒメとニニギノミコトが出会い、結婚し、子宝に恵まれたことから、縁結び、安産、子育ての神として女性に縁の深い御神徳があるとされています。
都萬神社についてより詳しく紹介している記事はこちら!
都萬神社に伝わる神話
祭神であるコノハナサクヤヒメは三人の御子を育てるのに、母乳では足りなかったため甘酒を造り三人の御子を育てたと伝えられています。
そのため都萬神社にはこの地が清酒発祥の地であるという碑も建てられています。都萬神社の伝承地に由来する周辺には「妻」「酒元」という地名が残っています。
境内社の乳神
今も秋の例大祭では甘酒が奉納される習慣があるそうです。産後の母乳が足りない女性は、神社に参拝をし母乳が出るようになったら甘酒を持って参拝するとのことです。
また毎年7月7日には、ニニギノミコトへの嫁入りの様子を再現する七夕更衣祭がおこなわれ、神職がコノハナサクヤヒメの御神象に装飾を施す神事として残っています。
このように境内を見て回ってみると都萬神社はコノハナサクヤヒメとニニギノミコトの伝承地として、すごく重要な場所だったということが分かりました。
このあと二人にどのような物語が待っているのか、次のスポットに行ってみましょう。
記紀の道スポット②「御舟塚」(みふねづか)
御舟塚と書かれた碑がある場所が2つ目のスポット
御舟塚 です。都萬神社から歩いて約4分、200mと近いところにあります。
一見ポツンと碑があるだけのように見えますが、神話を知ることでこの地の見え方が変わっていくのが何とも不思議なスポットです。
御舟塚に伝わる神話
天上世界である高天原(たかまがはら)から高千穂(たかちほ)に降臨したニニギノミコト。ニニギノミコト一行がこの地に辿り着きその時の舟が上陸し鎮まった場所と伝えられています。
御舟塚のあるこの場所は、神話時代は奥深い海の入り江だったそうです。古事記に出てくる笠沙碕(かささのみさき)がこの場所だったと云われています。
そして稲作に適したこの豊かな土地を気に入り、今の三宅神社があるあたりに笠狭宮(かささのみや)という御殿を建て本拠地として定めました。
現在も農業が盛んな西都市ですが当時から稲作などに適した土地だったのでしょうか。はるか昔、この場所が海だったと考えると不思議な気持ちになります。
記紀の道スポット➂「逢初川」(あいそめがわ)
逢初川と書かれた碑があり、児湯の池から流れ出る小川が3つ目のスポットの
逢初川 です。御舟塚から歩いて約12分、1,000mの場所に位置しています。
小川で水汲みをしていたコノハナサクヤヒメと散歩をしていたニニギノミコトが、初めて出会った場所と云われています。この場所から2人の物語が始まります。
稚児ヶ池(ちごがいけ)を通って、逢初川へ向かいます。
稚児ヶ池(ちごがいけ)の前にはベンチもあり、ゆっくり池を眺めながら過ごすことができます。
逢初川へ向かう遊歩道
自然に囲まれた遊歩道は歩いていて気持ちがいいです。
案内板と碑が目印
逢初川という名前ですが、広くて大きい川ではなく狭くて浅い小川が逢初川です。
5月の繁殖期間中にはほたるが見れるという逢初川。 ほたるについての詳しい記事はこちらをチェックしてみて下さい。
逢初川に伝わる神話
逢初川で水汲みをしていたコノハナサクヤヒメに出会ったニニギノミコトは名前を尋ねたそうです。
当時名前を尋ねるということは、結婚の申し出と同じだったとのことで、二人の物語の始まりの場所となりました。
出会い、恋をするという流れが現代と同じなのが、神様からどこか人間味を感じることのできるお話ですね。
記紀の道スポット④「八尋殿」(やひろでん)
ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメが新婚生活を送るために建てられた御殿の跡が4つ目のスポット
八尋殿 です。
逢初川から歩いて約2分、50mの場所に位置しています。
御殿は広さ縦・横八尋、8人が手を広げてつないだほどの大きさ(約15m)の広さだったことから、八尋殿と名付けられて跡地を保護したとのことです。
八尋殿に伝わる神話
ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメはコトカツクニカツナガサノカミの仲人により結ばれました。
2人を結びつけたとされるコトカツクニカツナガサノカミは、日本で初めての仲人として
媒酌 をとりもち、正式な
華燭 (結婚式)を挙げたと伝えられています。
ニニギノミコトは二人が出会った逢初川のほとりに八尋の広さの立派な御殿を建てました。
そしてニニギノミコトとコノハナサクヤヒメは新婚の一夜を御殿で過ごします。その翌朝にニニギノミコトは土族(中国のモンゴル系少数民族)の征伐に出かけていきました。
新婚とはいえ立場上ゆっくり過ごすことができずに国を守るために動いてたニニギノミコト。ここから物語は思わぬ展開に進んでいきます。
記紀の道スポット⑤「無戸室」(うつむろ)
コノハナサクヤヒメが出産のために造ったという産屋の跡が5つ目のスポットである
無戸室 です。
大きなケヤキの前に碑があります。八尋殿からは約400m、歩いて4分ほどの場所に位置しています。
無戸室に伝わる神話
土族の征伐に出かけたニニギノミコトが数か月後に帰ってくると、臨月を迎えていたコノハナサクヤヒメ。
一夜で妊娠したことをニニギノミコトに疑われたコノハナサクヤヒメは、身の潔白を証明するために、戸のない産屋に入り、「天孫の子であるなら無事生まれるでしょう」と中から火を放ちました。
燃えさかる炎のなかホデリ・ホスセリ・ホオリの3人の皇子を産んだと云われています。
この場所は地域で「火住殿(ひじゅうどん)」とも呼ばれているとのことです。
衝撃的なエピソードで驚きますが、コノハナサクヤヒメの強い想いがこの大きなケヤキに移っているとも感じられました。
記紀の道を巡る前編を終えて
記紀の道を巡る前編では全部で10か所ある記紀の道の5つご紹介しました。
各スポットで神話を読んでいると、よりこの土地のことを知れたような気がします。
引き続き記紀の道を巡る後編もお楽しみください。