宮崎県西都市小野崎にある「本部うなぎ屋」は、江戸末期の
嘉永元年(1848年)に創業した老舗のうなぎ屋さんです。
現5代目代表の本部
講一朗 さん(72)に、こだわりや思い、今後の展望などについてお話しを伺ってきました。「本部うなぎ屋」ならではの魅力をぜひ知ってくださいね。
西都市の本部うなぎ屋|継承ストーリーと店名の由来
「本部うなぎ屋」の現5代目代表の本部 講一朗さんが、なぜ宮崎県西都市の老舗うなぎ屋を継ぐに至ったのか。その経緯と店名の由来についてご紹介します。
5代目代表 本部講一朗さんの経歴|老舗のうなぎ屋を継ぐまで
現5代目代表 本部講一朗さんは、宮崎県西都市出身。「本部うなぎ屋」を代々受け継ぐ本部家に生まれ、高校生まで西都市で育ちました。
学生時代、「本部うなぎ屋」は講一朗さんのおじいちゃんとお父さんが切り盛りしていました。
大学生になるタイミングで一度家を出たいと考えた講一朗さんは、宮崎を離れ京都産業大学に入学。
この頃、老舗のうなぎ屋を継ぐことなど考えておらず、とにかく遊びたいという気持ちで大学生活を謳歌します。
うな重(特)
しかし、20代前半で大学を中退し、宮崎の調理師学校に入学します。この頃から、だんだんと家業を手伝い始めます。
そして、講一朗さんが40代前半に差し掛かった頃、一緒に家業を切り盛りしていたお父さんが体調を崩され、講一朗さんが5代目代表として「本部うなぎ屋」を継ぐこととなりました。
店舗名の由来
昭和50年代 移転してきた当初の写真
講一朗さんによれば、江戸末期の 嘉永元年(1848年)に創業した当時は、現在の名前ではなかったそうです。
創業時の名前は「うなぎ屋」というクラシックなものでした。
昭和50年代に西都の区画整理の影響で移転することになり、その際に名字である「本部」を屋号に加え、現在の屋号「本部うなぎ屋」となりました。
本部うなぎ屋 代表インタビュー|苦労と喜び、そして今後の展望
現5代目代表の本部 講一朗さんに家業を継いでから現在に至るまでの苦労や喜び、そして今後の展望についてお話を伺いました。
お店を継いで大変だったこと
大変だったことか……やはり繁忙期(5月から8月の夏の時期)は特に忙しいですね。
うちは生きたウナギを朝さばいて、その日に売り切る。売切れたら閉めるという昔からのやり方を続けています。
繁忙期は毎日朝から大忙しやね(笑)
昔お客さんが待ち時間に遊んでいた囲碁盤
あとね、時代が変わってきている。昔はお客さんが「待つ」ことに抵抗がなかったんです。
昔は注文が入ってから生きたウナギをさばいて提供していたので、提供までにかなり時間がかかっていましたが、お客さんは囲碁などをして楽しく待ってくれていました。
今は、そんなにお客さんを待たせたら帰ってしまいます。時代に合わせて営業スタイルも少しずつ変えていっていますね。
お店を継いで良かったこと
今になって振り返ってみると、「おいしいわ~、やっぱり本部のうなぎがいいわ」って言ってくださるお客さんが多くて、その言葉は本当に嬉しいね。
この商売をやっていて良かったなと思う瞬間です。
今後の展望
今は「うなぎ」自体が絶滅危惧種になっていて、値段が上がっている。「完全養殖」というのもまだまだ先の話で、先が見えないって言うのが正直なところ。
でも、そうですね、私は死ぬまでこの商売を続けたいね。妻の支えもありますし、私の体が動く限り頑張っていきます。
本部うなぎ屋の魅力|秘伝のタレと活鰻へのこだわり
5代目代表 本部講一朗さんに「本部うなぎ屋」のこだわりをお聞きしました。
創業当時から変わらない味|秘伝のタレ
「本部うなぎ屋」のタレは、江戸末期の
嘉永元年に創業した時から、継ぎ足し継ぎ足しで受け継がれてきた「秘伝のタレ」。
醤油やざらめの配合分量は創業当時から変わらず、うなぎのエキスがたっぷりと溶け込んだ「秘伝のタレ」で仕上げる「本部うなぎ屋」のうなぎは、まさに絶品です。
「活鰻」へのこだわり
店頭に置かれる「本日の活鰻」看板
本部うなぎ屋は、時期に応じて国内有数の産地から、品質の良い「活鰻」を厳選して仕入れるというこだわりっぷり。
質は地域や季節によって差がでるため、安定した品質でうなぎを楽しむことができます。
仕入れたうなぎは、毎度主人が直接目利きするとのこと。長年の経験から本当に美味しい「活鰻」を見分けるのです。
歴史が息づく老舗『本部うなぎ屋』で特別な一皿を
今回は、宮崎県西都市にある超老舗うなぎ専門店「本部うなぎ屋」を取材しました。
江戸時代末期から受け継がれる「秘伝のタレ」、一度食べるとやみつきになること間違いなしです。
歴史ある本部うなぎ屋さんのうなぎを、ぜひ皆さんもご賞味ください!