2023.10.30
全国でも珍しい青い鳥居|速開都比売神社を巡る
by まつ


3代目店主の中原さんは、幼い頃から家業である和菓子店を見て育ちました。
和菓子店を継ぐことは考えておらず、自分の道を模索するため進学のため東京へ。和菓子とは無縁の生活を送っていました。
しかし、ある日、状況が一変します。父が病に倒れ、家業を続ける人がいないという現実に直面しました。
「このまま店を閉じるわけにはいかない」
家族の思いと伝統を絶やさないため、24歳で東京から西都市へ戻り、家業を継ぐことを決意します。
ところが、和菓子作りの経験はゼロ。一般的に職人は数年間の修業を経て技術を身につけますが、そんな余裕はありませんでした。
「まずはやるしかない」
覚悟を決め、専門書を片手に、配合を計算し、試作を繰り返す日々が始まります。
安定した品質を生み出すため、材料の分量を細かくデータ化し独自の配合を築いていきました。
また、父が宮崎県の製菓組合の役員として活動していたこともあり、組合の職人たちとの交流を通じて技術を学ぶ機会にも恵まれました。
そうして、手探りながらも伝統的な製法を守りつつ、自分なりの工夫を加えながら、唯一無二の味を追求。
「手作業の技を極め、自分の理想とする味を届けたい」
その信念を胸に、72歳になった現在も和菓子作りに向き合い続けています。

「おかし花月」は、1921年に中原さんの祖父が西都市杉安で創業した和菓子店が始まりです。当時は名字を冠した「中原花月堂」として親しまれていました。
その後、2002年に現在の西都市・新町へ移転する際、より親しみやすい店名へと変更。
「和菓子屋らしく、もっと気軽に足を運んでもらえるように」
そんな想いを込め、「おかし花月」というシンプルで温かみのある名前になりました。

「大変だったと思ったことはないですね。自分に向いている仕事だと思います。」
そう語る中原さんですが、和菓子作りをゼロから独学で学び、試行錯誤を重ねた日々がありました。
「親父が倒れて、突然店を継ぐことになった時は、何の知識も経験もないまま、いきなり職人としてやっていかないといけなかったから。本を読んで、分量を計算して記録を取りながら試作を繰り返してやっていました。」
効率を考えれば、機械化したり、人を雇って生産量を増やすという選択肢もあったかもしれません。しかし、中原さんはあくまで「自分の手で作ること」にこだわり続けています。
「人を増やせば売上は上がるかもしれない。でも、自分の手で作るからこそ出せる味があるんですよね。それに、細かい部分までこだわりたい性格だから、人に任せるより自分でやる方が気が楽なんです。」

昔から通い続けてくれるお客様がいて、「ここのお菓子を食べるとホッとする」と言われると、本当に嬉しくなります。
親子三代で買いに来てくれる方もいれば、遠方からわざわざお取り寄せしてくださる方もいる。そんな風に、お店のお菓子が誰かの思い出の一部になっていることが何よりの喜びです。
お客様に「美味しい」と思ってもらえるように新しいお菓子を考える時間もまた、ワクワクするものです。そう思えるからこそ、この仕事は自分にぴったりなんだと感じています。

後継ぎはいませんが、できる限りこの味を守り続けたいと思っています。
体が動くうちは、お客様に喜んでもらえるお菓子を作り続けたいですね。昔からの常連さんはもちろん、新しいお客様にも、この店の和菓子を楽しんでもらえたら嬉しいです。
伝統の味を大切にしながらも、自分なりの工夫を取り入れて、これからも「おかし花月」ならではのお菓子を届けていきたいと思います。




西都ゆるなび掲載ページ|和洋菓子「おかし花月」
2023.01に宮崎県西都市に移住してきた「まつ」です。
西都市地域おこし協力隊として、移住者目線で西都の魅力を発信しています。
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